多数決では何も解決しない理由

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物事を決める際に,「多数決」というのは最悪の手段である.

多数決というのはそもそも考え方の違う人間が寄り集まったときに何かを決める手段であると思うが,この決め方では同じ考え方をしている人間の数の多い方が勝つだけである.

同じ考え方をしている人数を増やすために議論すればいいのではないか?
といわれるかもしれないが,そもそもこれは間違っている.

皆,同じ立場であれば,説得して同じ考え方にもっていくことは可能かもしれないが,基本的にみな立場が違うので,同じ考え方に持っていくということは不可能である.

例えば,原発に反対,賛成といってみても,立場が違えば議論にならない.
それしか生活の糧にできない人からすれば,賛成しかない.
特に普段の生活に無関係で,放射線が怖ければ反対となる.

基本的に説得されたり,扇動されたりする人というのは直接無関係な,もしくは本当は関係していても,それに気づいていない人たちだけである.

その「多数決」の結果,直接影響を受ける人たちは,真剣に考えることになるので,よりよい解決策を考えて,案をだそうとするが,それ以外の人はそうでもないということになる.

多数決はつまり,外野のどうでもいい票が多数入るということで結局何も解決しない.
多数決の結果で本当に影響を受ける(と分かっている)人たちだけで真剣に考えて考えて,解決できる策を編み出すのが最善の方法だと思っている.
影響を受けるというのは特に悪い意味で影響を受ける人達と考えるべきである.
問題が難しくなるのは悪影響を受ける範囲がどこまでかを見極めることが難しい場合だ.(特に科学技術,文明の進化.)

大抵の場合,短期的によい影響を受ける人が多い場合はそちらが選択されてしまう.考えが及ばないし,その悪影響に気が付いている人が声を上げても,まず大抵は無視されてしまう.
(アインシュタインもそうだったと思うが,進化させた本人が声を上げても無視されてしまう.)

政治の場合,そのような理屈で
すぐ短期的によい影響を受けて,長期的に悪い影響を与える政策
すぐ短期的に悪い影響を受けるが,長期的によい影響を与える政策
では,前者が勝つので,そういう政策を掲げた政治家が勝つのは無理もない.
人間はまるで「朝三暮四」のサルである.

大きな問題がおきて,後からもめるときというのは,決定したことが引き起こすことがどうなるかということについて,真剣に考えている人が少ない場合であり,実際は悪影響を受けないと思っていた大多数の人たちまで影響を受ける場合である.

原発の問題はまさにそうなんだろうが,科学技術の進歩というのは多くの人にとって,それがどういう悪い結果を引き起こすかということを想像しにくいので,真剣に考える人が少ない.よって重大な結果を引き起こしやすい.
今までの歴史を見れば,それが分かる.

みんな便利になることしか頭がいっていないわけだ.短期的なことを考えるのは簡単だが,長期的なことを考えるのは誰にとっても難しい.

この百年ぐらいの間の科学技術の進歩の速さは恐ろしいぐらいで,本当に近々,人類はダメになる可能性はあるかもしれないなと感じる今日この頃である.

それが嫌なら,多数決以外の決定手段を見つける必要があるだろうが,サルなら自ら滅びるほかないだろう.

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